一寸庵のブログ

茶道宗徧流について書いてます

2017-01-01から1年間の記事一覧

第十七 及臺子之事 その二。

○臺子を伝授するは、其の点前熟し、其の人品の善悪を見るべし。意の異なる人は、貌も異なり。直ぐき人は、貌も直ぐしと云えり。点茶の貌直ぐなれば、自然に心にようべし。然る則りは、極意は心気の執行専要なり。豈業のみにあらざる哉。茶道心を得るは、忠恕…

利休居士之一枚起請の文。

写真は流祖の高弟、三河吉田の三高足の一人倚松軒帰誉の利休居士之一枚起請の写しです。 その下に流祖像が描かれてる画賛の賛の部分です。 意訳は以下の通り 「唐土我朝にもろもろの知者の沙汰申さるる観念乃茶の湯にもあらず。また学文をし天ねんの心をさと…

幕末、明治期の各派の状況 その九。

これで父と娘の了解成り、父は即刻水月師を訪問し、今日まで時習軒を等閑にせしを詫び、自分が後見となり娘は有難く時習軒を拝受する旨を答えました。水月師はこれでいつ何ん時死んでも時習軒の相続人は細田伊登と云う立派な茶人が継で呉れ、自分としては歴…

幕末、明治期の各派の状況 その八。

大変ご無沙汰しております。 とある方よりご要望があり、続きを書かせて戴きます。 これは昭和三○年六月二五日に刊行された時習軒会報(時習 十四号)に掲載されたもので、 「八世宗衛 時習軒継承のこと」という表題がついている。 早速娘伊登に申し渡すと「…