一寸庵のブログ

茶道宗徧流について書いてます

2007-10-01から1ヶ月間の記事一覧

第十七 及臺子之事

一、當世及臺と云うは、香臺に似たる物なり。然らず。当流には、二本足の臺子を云う。尤も、寸法あり。臺子の茶の湯と云うは、是なり。座席の隅、表の方畳目六つ、勝手の方七つ目。後(臺子の向こうの明きのこと)の寸法は、表と同寸に置くなり。炉の時は、…

第十九 後の火直す事 便蒙一 二十七左 その二

一、数寄屋は、不断茶の湯沸し置くなれば、不時の客などの時、下つかえたらば客へ辞義に構わず、下を取りて炭置かで叶う間敷きなり。又、夜噺・廻り炭の時、度々にて下つかえ候得ば、下を取るなり。 前回とほぼ同様な内容である。 「不断茶の湯沸し置く」事…

第十九 後の火直す事 便蒙一 二十七左

一、後の火直す時に、下取りを用うる事は、古しえ侘人、埋火にて直に、茶事をもうけたるに寄る。二度目に、下つかえたる時は、下を取るなり、当代は、客を呼び候時あらため灰を直すなれば、中々二三度にて下つかえ、隅仕がたき事なし。当代は、客より下御取…

第五 炉中の灰の事 便蒙一 六左

一、口切の時、暖かなれば、炭すくなく置くゆえなり。灰多く入るるなれば、おのずから、ふところ少なく、隅も大きにするなり。春になり、風炉に揚ぐる時分も此の心得なり。末流には、十月朔日より炉、四月朔日より風炉に揚ぐるといえども、当流に構いなし、…

第十七 置合の事 便蒙一 十九右より二十左まで

一、座敷掃除済み、道具の置合も済みて、客座入の案内に潜りの戸三つふせ程、明け懸るというは、是古代の法なり。当時は同輩にても戸を明け、下へおりて挨拶あるべし。当世は主客の挨拶も殷懃を専らとする事なれば、古法なりとて、故もなく守る時は却って失…