一寸庵のブログ

茶道宗徧流について書いてます

2016-01-01から1年間の記事一覧

幕末、明治期の各派の状況 その七。

偖当日は早朝心身を清め、父親に伴はれ脇坂邸へ上がりました。 当日の服装、髪の結方等は祖母から聞きましたが、少年時代の私や武曽師も男子の事とて餘り興味もなく、総て失念してしまいましたが当日の模様で記憶している事を綴りますれば、脇坂様では両殿下…

幕末、明治期の各派の状況 その六。

話は前に戻り、脇坂様の献茶に半東が必要という。 時の宮内府の達しで、半東は宗徧流中の皆伝者で少女に限ると云う事で、宗徧流広しと雖も少女で皆伝はおろか奥伝さえなく、八方捜した結果八世は十七才で幸にも少女であり、奥伝を許されていましたので(二号…

幕末、明治期の各派の状況 その五。

四ヶ月ぶりの更新です。 家元より貴重な資料のコピーを頂戴しましたので、転載して私見も述べていきたいと思います。 これは昭和二八年一月二十日に刊行された時習軒会報(時習 五号)に掲載されたもので、 「脇坂安斐が明治天皇へ献茶の際 八世宗衛が半使を…

幕末、明治期の各派の状況 その四。

では、この明治中期以降の当流の活動を関口家の視点から覗いてみたい。 その前に、この当時から現代に至るまでの各派共通の問題点があるのでここで述べて置きたい。 これも前述の参考文献である「空のなごり」から抜粋、要約する。 この文献の著者は、宗徧血…

幕末、明治期の各派の状況 その三。

前回の投稿にて安斐侯に譲られた「力囗斎」の板額について、実は養父の安宅侯に既に時習軒七世吉田宗賀没後に水月尼より譲られていたという新事実が、以前より参考にしている廣田吉崇氏の最新の研究ノートに記載されていたので訂正し、また安斐侯については…

幕末、明治期の各派の状況 その二。

前述の廣田氏の著書の一項「貴紳の茶の湯」は、東久世通禧卿を中心に描かれていて当時の茶の湯の状況も垣間見えてとても面白い。 通禧卿は明治政府の高官として、様々な官職を担う中で千家との接点も何度かあったのにも関わらず茶の湯に興味を示さなかったが…

幕末、明治期の各派の状況 その一。

とても久しぶりの投稿です。 当流に限らず、幕末明治の混迷は大名家の扶持を離れた茶家にとっては辛く厳しいものであったと聞き及ぶ。 大まかには以前、当ブログでも掲載しているので、そちらを参照して貰いたいが今回はその各派の詳細について書いていきた…